🤩 河村俊介君から水彩画の力作3点が届きました 🙄
😊 たつみ会員の方々から感想が届いています。(一部紹介)
☆河村さんの絵、とても懐かしいです有難うございました🙇又時々見せて頂きたいです(t.kasiwabara)
☆河村さんの水彩画素晴らしいですね。お祭りの雰囲気も伝わってきます。感動 しています。西野さんがホームページをして下さっているからこそです。ありがとうございました。(u,egawa)
☆しゅんちゃん相変わらず頑張っているんですね…😊(h,fujimoto)
☆ 大変綺麗に咲きましたね~!🤩 送信ありがとう。
🙄 平成15年(2003) 卒業45周年記念同窓会時に記念植樹! 約21年経過ですね~!🙄
👀 この桜並木で一番のお気に入りの桜も満開⁇(間際)でした 🙄
愛すべき高野川 美濃部 芳夫 令和6年3月5日
3月5日 今日は24節気の一つ啓蟄、人間はいざ知らず世間の生き物、虫たちも
冬ごもりから一斉に顔をのぞかせる 早春の季節なのである。
私の自宅前の高野川も初春の風物詩いさざ(白魚)とりのもんどりがしかけられている。
早朝からのぼり始めたいさざを餌にせんとして白鷺がもんどりのため口に陣取ってじっと
水面を凝視している。まるで時が止まったかのような風景だ。
思い起こせば 私が中学生の頃は高野川の土手がまだ改修工事がしていないころで夏には
水辺に銀やんまが飛び交い土手から夜釣りの竿をたれていて鰻を釣り上げたことがあった。
秋には丸樋に仕掛けたもんどりで鰻を獲ったこともあった。冬ともなれば鴨の群れが飛来
してきて川瀬で羽を休めたり羽の間に頭をうずめている姿が微笑ましい。
私にとって高野川は、四季折々五感で味わうことのできる愛すべき川なのである。
🤩 投稿有難うございました! お元気そうで何よりで~す 😁
定年退職前の8年間、大阪吹田の道路公団関西支社迄(片道135キロ)車通勤、お陰で退職時は運動不足で体はブヨブヨ(笑) そんな折、美濃部君が愛宕山登りに誘ってくれました! その後22年間、愛宕山登山回数は4793回を数えます!また秋葉神社に願掛けした禁煙も成功、何時も感謝しています。 有難うございました!(西野貞穂)
①知らないお顔も多いです、80才越えた同窓会にしては結構な人数ですね、やっぱり百才時代になっているのでしょうか?
②大勢集まられましたね。皆様、若々しくとても、卒後?十年とは思えませんね。楽しそう!雰囲気良くわかります。
③皆さん素敵です、今年のたつ年が最高の年になります様に、、
④掲載して頂き、(あ)りがとうございます😊 お陰様で賑やかに会を修了出来ました。これから、淋しくなります。
⑤みんなやはり年がいったね、ありがとう!
⑥それにしても、2、3人以外すっかり分かりません!いよいよ認知症まっただ中をしみじみ感じています。
⑦早速、アップしていただきありがとうございました。新聞と互角の速度で写真が公開されて、デジタル時代を感慨深く実感しました。
⑧出席者の皆さんは大変お元気そうで羨ましいです😉
😊 1997年、なみはや国体の時、遊び目的で作られた280mもある全国でも指折りの吊り橋、「星のブランコ」
交野市のキャッチが「星の町」なので、そう名づけられ、四季折々、都会にない壮大な山の景色がハイカーの目を楽しませています。
👁反響が届いています👁
👁舞鶴の花図鑑
毎月楽しみにしていましたが残念ですがファイナル(残念)でした。
沢山の花を紹介して頂き感謝しています。
一緒に舞鶴の低山登山⛰を楽しんだり屋久島登山に連れて行って頂いたりと思い出がいっぱいです。
これからも健康に気をつけながらいっぱい楽しいお話を聞かせて頂きたいと思っています。
長い間本当にお疲れ様でした♪ 西野さんもずーと愛宕山⛰楽しんでくださいね。 (Oota)さん
関西たつみ会 新年会のご案内
拝啓 皆様にはその後益々お健やかにお過ごしのことと存じます。
2001年発足の関西たつみ会を下記のとおり開催します。
かっての美少女・美少年のお顔を拝顔するのも最後となります。
多数のご参加のご返事をお待ちしております。 敬具
記
日 時 2024年1月19日(金)
時 間 12:00 ~ 14:30(受付 11:30~)
場 所 がんこ「京都駅ビル店」
JR京都駅ビル2F 京都劇場向い
TEL o75-342-5995
会 費 5,000円
申込締切 2023年12月25日(月)
(世話人) 松田敬一(TEL/FAX 0774-43-3812)
、関西たっみ会の宮本和彦さん千葉県四街道在住が4月11日に誤嚥性肺炎の為逝去されました。奥本さんから連絡ありました。 ご冥福をお祈り致します。
朝の散歩によせて 令和5年5月8日 美濃部 芳夫
私、ここ2年程前から足腰がめっきり弱くなって最近努めて歩くよう心がけている。今朝(5月8日)も五月雨のあい間をぬって朝の散歩に出かけることにした。
自宅前の高野川沿いの細道を200m程を南に歩を進め、霞月旅館脇を抜けて朝代神社参道に至る。神社の石段を息を切らせながら登って神社本殿にて二拍二礼一拍、頭を垂れて一日の安寧を祈る。
その後円隆寺境内へ足を進める。目の前に樹々の緑が飛び込んでくる。
聖徳太子堂の上の参道に紫色の藤の花が垂れ下がって美しい滝の流れの様を作っている。
爽やかな風が本堂脇の池の水面を吹き渡ってくる。石段に腰かけ一服している小生の頬をなでる。ああなんて幸せな人生なんだろう。
今日自分は身体が不自由であるのに優しい妻や子供達に恵まれ励まされて、今自然の中に身を置いて生かされていることにしみじみ嬉しさを感じる。
円隆寺本堂前にて合掌、愛宕山登山の登り口、小川のほとりに芭蕉塚がある。塚は球形で芭蕉句「何に此師走の市に行からす」石碑に刻まれ通称、からす塚と呼ばれている。
私はこの有名な句に触れこの句を復唱しながら俳句の幽玄奥深さを感じている。
烏塚の上の若もみじの中に多宝塔が見える。塔の九輪が天をついて堂々とその存在感を示している
せり上がった屋根の四隅に吊るしてある風鐸が薫風にふれ、密かにゆれている。
私も春風の中の風鐸に似て心静かに境内を去り家路へと帰途に向かった。 終り
大石さんは、1938(昭和13)年、北田辺で生を受けた。5人きょうだいの真ん中。兄姉、弟妹に囲まれ賑やかな幼少期を送った。明倫小に通った小学生当時、毎日通った通学路は今でもはっきりと思い出せるなど、「ふるさとには今でも強い愛着を感じている」と話す。その後、城北中、西舞鶴高へと進んだ大石さん。俳句には高1の時、出会いの機会を持った。当時は、戦時中に抑圧された文芸が解放され、花開く時代の流れを感じたという。以来、24歳で結婚し、出産も経験したが、俳句から離れることはなかった。「17音という短いセンテンスで自分を表現できる俳句が、性に合っていた」と大石さん。今回の受賞については「手放しで嬉しいというような心境ではなく、まだ遠くから見ているような心持ち」と話しながらも、「私は舞鶴に育てられた」とふるさとへの感謝を口にした。今でも帰郷する時、真倉駅を通過した電車が西舞鶴の市街地に入るあたりで胸が熱くなるという。大石さんは「あれが私の原風景。(舞鶴で過ごした時間は)人生の中では短い一時期だが、濃密な時間。記憶の豊かさを支えているふるさとの人や思い出が、今の自分を育んでくれたと強く感じる」と舞鶴への思いをあふれさせた。特徴ある当地の風土性が育んだ珠玉の句集。手に取っていただき、同郷の俳人が刻んだ偉業をともに喜んでいただきたい。